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インタビューinterview

“アンチ三和電気の私が工場長”

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茂原 工場長

石井 善美Ishii Yoshimi

大企業の正社員を辞めて中小企業に来たのは、女性でも責任のある仕事を任せてもらえると思ったから。結婚、出産、育児と生活の中に責任が増していくほどに、仕事への想いは熱を失っていった。
そんな石井の前に現れたのは、ブレない信念の仕事人。彼との出会いから、石井の世界は変わっていった。

アンチ三和電気だったんですよ、私。入社して4年目くらいまではね。
責任ある仕事をしたくてこの会社に来たんだけど、暮らしにもまれて、いつの間にか忘れてたんですねえ。文句ばかり言いながら、生活のためと割り切って働いてました。私を変えたのは、当時、営業部長だった山田さん。
大赤字部署だった茂原工場を立て直すために来たんだけど、初めて話した時は大げんかしたんです。手に余る仕事を頼まれて「できません」と言ったら、怒鳴られました。私は無理なことは「できない」というのが誠実だと思ってたんだけど、山田さんは「できる方法を考えろ」という考え。「なに言ってんだ、この人」と思ってたのが、いつの間にか山田イズムに染まっちゃって、仕事に打ち込むようになってました。私が忘れてた志を、思い出させてくれたんですよね。

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人としてのバランスのとり方

山田さんからは仕事だけじゃなく、人としてのバランスのとり方も教わりました。家庭のことも安心して相談できたし、家が大変な時には「母親なんだから、今日は帰れ」って仕事を切り上げて家に帰らせてくれたこともあります。会社員、主婦、嫁という立場のバランスを尊重してくれる人でした。山田さんが遅くまで根を詰めて仕事しているときには、何人かで「ご飯食べに行きませんか」と会社から連れ出すこともありましたね。そうやって私たちの師弟関係は深まっていきました。
山田さんが後継者と見込んでいた男性が何人かいたんですが、みんなついていけず、辞めちゃいました。最後には「男はだらしねえ。女の方がとことんやる」と言って、山田さんが私を工場長にしたんです。

私たちの時代は、家に持ち帰ってでも仕事をやりきるというのが常識でした。
でも、それじゃ今は通用しませんよね。若い子たちにそんな話をしても理解も共感も得られません。山田さんが与えてくれた子供と向き合う時間が、若い世代とコミュニケーションするうえで、本当に役立っています。バランスのとり方は、時代によって変わります。山田さんが教えてくれたのは、どんな時代でも変わらない大切なことだったんです。

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“愛してるなんて
言えるわけないだろ”

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常務取締役、管理部部長

小田島 一弘Odajima Kazuhiro

2代目社長に仕えて以来、約40年にわたり三和電気の歴代経営者を支える小田島。
今は自身のキャリアの総仕上げとして後進にの育成に力を注いでいる。生き字引であり社長の懐刀である彼に仕事の流儀を聞くふりをして、今ぶっちゃけ考えていることを語ってもらった。

家内とのなれそめ?そんなこと聞いてどうするんだよ。前の会社で出会って社内結婚だよ。えっ?むこうが先に惚れたに決まってるだろ。あれから35年か・・・・・・変わったよなあ。あの頃はかわいかった。
夫婦なんて、そんなもんだよ。俺は仕事してばかりだったからなあ。面白かったんだよ。それまで無かったものを作れることや、できなかったことができるようになるっていうのがね。仕事に夢中になっているうちに、家の中の関係性はいつの間にか変わってた。それは会長(4代社長)も同じみたいだけど(笑)。

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引退したら?
そうだなあ。女房の故郷の沖縄に行って百姓をやりたいね。新潟の山の方で育ったから、海に憧れがあるんだ。女房が体調を崩してるから、静養のためにもね。
ばか。「愛してる」なんて、そんないいもんじゃないよ。介護するのは嫌だから元気になってもらわないとな。でも、その前に息子に結婚してもらわなきゃ。
社内の女の子に「うちの嫁になってくれない?」って聞いたりもするんだけど、みんな「ダメ。親がダメ」って、ひどい言われようだよ。まあ、みんな言いたいこと言える関係でいてくれるってのが救いだね。
僕の今の仕事は、作業をする上での思考の流れや物事の本質の見方を教えることだけど、もうすぐみんなに教えることも無くなりそうだから、沖縄に行ったら百姓よりも、また経営者の手伝いをするのもいいかもしれないな。だからまあ、こんな仕事人間に思いっきり仕事させてくれた女房には、頭が上がらないわけだよ。

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“いろいろ捨てたら、
大事なものだけ残ってた”

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技術開発部

森 映子Mori Eiko

65歳を過ぎて三和電気に入社。まだ働きはじめて3年半だが、持ち前の元気と明るいキャラクターで職場の空気を完全に掌握している。三和電気に来るまでの「ウヨキョクセツ」を明るくあっけらかんとあけすけに話す彼女の言葉には、味わい深い含蓄がある。平凡で非凡な、大人の女性の生き方が聞けた。

製造業は初めてなんですよ、私。これまでは会計事務所や営業や接客の仕事を転々としてきましたから。コールセンターで働いたこともあったし、健康食品を販売したこともありましたね。平日は会社で働いて、土日は結婚式場の配膳や洗い場でアルバイトしたりしてねえ。
三和電気に来る前は、銀行の個人情報管理の仕事をしていました。製造業は楽しいですね。私の仕事は出荷前の検査。顕微鏡でニードルの先端に曲がりや汚れ、キズが無いかを調べるんです。老眼になってからこんな細かい作業ができるなんて感激してるんですよ。

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休みの日?
できるだけ家から出ないようにしています。私の家には、必要最低限のもの以外、何もないんです。私は捨てるのが得意で何でも捨てちゃう。亭主も捨てちゃった(笑)。物のない家でひとりきり、図書館で借りてきた本を読む。これが私の休日です。歴史小説で、司馬遼太郎の本を特にたくさん読んできましたね。「燃えよ剣」の土方歳三や「国盗り物語」の松波庄九郎なんてイイ男ですよね。考えることが大きくて、行動力があって。日本の歴史は身近に感じられるから面白いですよ。実際にその場所へも行けるしね。でも誰かと旅行に行くのは、苦手。路線バスのワンデイフリーパスを買って、先頭の席に座ってボーっと風景や人のことを観察するのが好きなんです。
「いいなあ」と思うのは、素敵に年齢を重ねた女性ですね。こないだ亡くなった樹木希林さんみたいなね。自然に自分のことを受け容れて、人生をよく味わっている人って憧れちゃいますね。
そう考えると、私がいつも覗いている顕微鏡の中もミクロの世界に一人で旅行しているようなものかもしれません。
自分を独り占めできる、いい仕事ができて幸せです。

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“あいつには内緒にしとけよ”

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製造グループリーダー

石田 欣也Kinya Ishida

25歳で入社。以来23年、三和電気一筋で働いてきた。6年前に最高難度の製造部署「研削」の責任者になってからは、一度も不良も納期遅延も出していない。そんな誇り高き職業人に、プロとしての矜持を聞こうとインタビューしたら思いがけず心温まる話が聞けてしまった。

あいつがいなかったら、ここまで長い時間を三和電気で過ごすこともなかったのかもしれないね。なにしろそれまでの俺は職を転々としてたからね。自分のことしか考えていなかったから、気に入らないことがあると、すぐに辞めちゃうんだ。
小山が入社してきたには、俺が入社して3か月のころだった。今はあいつが上司だけど、いちおう俺が先輩なんだよ。微妙に。いや、ライバルっていう感じじゃないね。年齢が近いこともあって、比較されていた時期もあったけど、俺とはまったく性格がちがうから。小山は我慢づよいしね。ただ、仕事に対する姿勢や考え方は一緒の部分が多かったんだよ。

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俺は仕事とプライベートは分けて考えたいタイプだから、会社の外で同僚とつるんだことはなかったんだけど、小山は妙になついてきてね。俺もそれが嫌じゃなかった。二人とも口数が多い方じゃないから、一緒にパチンコ行って、ずっと無言でいるだけなんだけど。それがあいつと俺のコミュニケーションだったのかもしれない。小山のおかげで三和電気で仕事を続けられて、俺も変わってこれたと思う。そういう意味では同志であり、恩人だね。
もう一人、そういう人がいるんだ。みいちゃん。うちの嫁さん(笑)。職場結婚だから俺の仕事のこともよく分かってくれるし、うちでも外でも俺がやりたいことを全てやらせてくれた。感謝しかない。俺にはもったいない嫁さんだよ。機械いじりが好きな俺の趣味はバイクだったけど、みいちゃんと結婚した時にバイクは降りた。家族を守る身体を壊すわけにはいかないからね。そのかわりに、いまは工場のマシンを毎日いじっているわけ。工場の機械といっても操る人間の性格の通りにクセがついてくる。愛着がわくんだよ。こいつをいじりに会社に来ているとも言える。
このマシンと小山とみいちゃんが、俺の仕事を支えてくれてるんだね。こうして言葉に出すまで深く考えてなかったけど。なんか照れるな。書くなよ、こんなこと。

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“皆で一緒にずっと働ける職場を目指して・・・”

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電極担当

鬼島 俊彦Kijima Toshihiko

お人好しだった親父は、騙されて連帯保証人に。そしてお決まりの借金地獄。おふくろは夜遅くまでガソリンスタンドで働いていた。自分も死ぬほど働いた。まわりの友達が遊んでいるときに、自分だけ昼も夜もなく働いた。心の支えは矢沢永吉の「成り上がり」。「俺も勝負してやろう」21歳で25年ローンの家を買った。46歳になった日、カーステレオから流れてきたYAZAWAに頬を濡らした。
長い時間をかけて勝負に勝った男が、いま見つめている「成り上がり」を話してくれた。

派遣で3年、準社員で9年、正社員になってから2年だけど、YAZAWA歴は36年。
子供の頃からYAZAWAに憧れてね、最初はパン屋で成り上がろうと思ったんだよ。でもパン屋って朝が早いでしょ。俺、朝が弱いから挫折しちゃって。どうやって成り上がろうか考えていたら、親父が、連帯保証人になった借金を全部かぶることになって家を売っちゃった。
でも家族が暮らしていく場所は必要でしょ。だから25年ローン組んで家を買ったんだよ。21歳のガキにとって25年後なんて気の遠くなるような時間だったよ。

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疲れもたまってきた30歳のころ、YAZAWAもマネージャーに持ち逃げされて35億の借金を背負った。俺とはスケールが違うけど、その借金を返していく姿は励みになったなあ。
おふくろはいつも「正社員じゃなくても仕事があるだけで感謝だよ」って言ってた。正社員として雇ってくれた三和電気には本当に感謝してますよ。でも、いい会社なんだけど、辞めていく人が多かったんだよね。上司や社長に「人が辞めない会社にしてほしい」って直談判したこともあるよ。何でもいいから仲間が辞めるのを引き留められるネタが欲しかった。でもそれって結局、「給料と休みを多くする」っていう話になっちゃう。言ってるうちに、仕事する理由はほかに無いのかと思うようになってきてね。
最近、分かったんだよ。俺自身がそのネタになればいいんだって。俺もつらいときに相談に乗ってくれる人がいたから、この仕事を続けてこられたわけだから。いまは職場の人と積極的に飲みに行くようにしてる。だって送別会でお金使うより、そっちの方がいいじゃん。
借金は返した。ローンも払いきった。正社員にだってなれた。俺にとって、いま成り上がりは「みんなが、明日また会社に来る理由」のひとつになること?さすがプロのインタビュアーはうまいこと言うね。
いや、それはカッコよすぎるよ。ダメダメ、恥ずかしい。笑われちゃうよ。

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“とことん、受け身でいく。”

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コイリング担当

大里 真一Osato Shinichi

自分には何も無い。自分は何者でも無い。なんとなく、ここにいる。そう思い込んでいる大里へのインタビューは、困難を窮めた。しかし聞いていくうちに思い知らされた。人間の面白さは、自分が何もないと思っているところにある。
成長している自分に無自覚なまま毎日を淡々と送っている彼の面白さ、素のままで過ごしつづける彼の、「彼だけが知らない情熱」が聞こえてきた。

えぇ~、僕にインタビューされても話せることなんて無いですよ。製造業に就いたのは工業高校を出たからだし、三和電気に入ったのは、家から近いから。皆さんみたいに深いこと考えてないんですってば。
僕はコイリングという部署を担当しています。製造工程のいちばん最初だから、プレッシャーめっちゃあるんですよ。休みの日に行くパチンコがストレス解消ですね。こないだ10万勝ったんですよ。必殺仕置き人、最高ですよ。使い道は・・・・・・そうですねえ、またパチンコで溶かしちゃうのかな。分かってるんですよ、そうやって泳がされてるんです。

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それ以外の時間はスマホで「モンスト」やってますね。難しいダンジョンを手持ちのキャラでやりくりするのが楽しいんです。あと「シャドバ」ですね。このゲームは自分のスタイルを自分で作れますから、やりがいがあります。課金はしませんよ。15秒くらいの広告動画を見てパワーアップさせてます。ゲームもやればやるほど難易度が上がりますからね。燃えますよ。
最近、仕事も難易度が上がってきて、アメーバ経営だとか、時間あたり採算とか原価計算とかもやってます。いや、やりがいと言うよりプレッシャーですよ(笑)。作ればいいだけじゃないんですから。難しい注文を手持ちの機械と技術だけでなんとかやりくりして、自分のスタイルを自分で模索しながらなんとかやってます。
ランプの明るさを、ルーメンとかワットとか計算して、ねらい通りに作れたときはちょっと面白いかな。僕は自分から発信するよりも、人からの要請に応えるほうが好きみたいです。仕事だって最初は、自分が何をやっているのかも分からないような状態でしたけど、相談できる人がいてくれたからここまで来られましたね。
失敗しながらも、数をこなさせてくれる環境が整っているから、成長できたのかな。
ええ、頑張ってますよ。稼がないとパチンコに行けませんから。

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